2007年05月02日

今年ももう5月になってしまった。
どうにも早すぎる。

昨年末から今年あたまにかけて
読んでいた本が、
とても興味深かったので
いちど書こう書こうと思いながら
5月になってしまった。

『美しい都市・醜い都市 現代景観論』(五十嵐太郎著・中公新書ラクレ)

個人的には
去年のベスト3に入るくらいのインパクトある本だった。

この本のテーマは、
ずばり
なにをもって美しい景観、醜い景観といえるのか
という問題だ。

以前から
この日記で書いていたような
ヨーロッパの古い街並み=美しい
現代の日本の街並み=醜い
というような
単純で典型的な景観論に
この本は一貫して
疑問を投げかけている。
それがショックだった。

なかでも
この本のクライマックスは
「日本橋・首都高移転問題」に
鋭いメスを入れるところだ。

まず
日本橋再生と一口に言っても、
首都高移転論者たちのビジョンはあいまいだという。

そもそも
江戸期の日本橋を再現したいのか
現状の西洋風の橋を保存したいのかすらあいまいであり
そのあいまいさが「美観」という免罪符のもと
許されている現状がある。

仮に西洋風の日本橋を保存したとしても
それは、
日本を訪れる外国人の眼から見れば
異国文化を輸入しただけの
さして際立った特徴があるわけでもない橋である。

それよりも
首都高を残すことのほうが
文化史的にも観光的にも意味があるのではないか
と著者は問う。

首都高は、
世界にもまれな日本の高い技術力が可能にした建造物であるばかりか
高度成長期という日本の近現代史のひとコマを象徴するモニュメントでもあり、
サブカルチャーの視点で見れば
世界的にも「サイバーでクールな日本」の象徴ともいえる存在だ。


古い街並みの再生や保存の名のもと
各地でニセモノの
テーマパークのような観光地がつくられるなか

日本橋の再生にはどんな意味があるのかを
著者は問い続ける。

そして、結局はゼネコンに大量の公金が流れる
首都高移転とは、
カタチを変えた
旧来の悪しき公共事業なのではないかと
追及する。


ものの美醜という
主観的であるはずの問題が、
こと
景観の話になると
なぜか
ヨーロッパの古い街並み=美
秋葉原・電柱・電線・工場=醜

人間みな同じ意見であって当たり前
であるかのような
前提で話がすすんでしまう。

この本を読んで私は
自分の狭い視野と硬直した思考に気づかされた。


赤瀬川原平は、路地のいびつさを
ベッヒャー夫妻は、工場を
庵野秀明は、電柱を
大友克洋は、団地と首都高を
そのほかにも
これまでに
たくさんの人たちが
この醜い世の中の
美にきづいてきたのだ。

汚いけど、綺麗。


・・・


ああ、そういえば、
表参道ヒルズ。
あれには
幻滅させられたよ。

投稿者 vacant : 2007年05月02日 21:30 | トラックバック
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