2008年08月08日

5月16日から18日まで

所用で、奄美へ行った。


何年ぶりだろうと思って調べてみたら、

16年ぶりだった。

1992年の3月にはじめて、この島を訪れている。

それはずっと雨の旅だった。

海が見渡せるという、北部の半島を

自転車で走っても

崖の上の道路から見えたのは、霧だけだった。

ずっと。


当時の名瀬の街は、(僕の記憶のなかでは)

音も無く雨に振られ

首を垂れて

口を閉ざしたような

そんな小さな路地。


あるいは

明治の外国人に撮られた

色褪せたモノクロームの土の路、

ひと、犬。

魚屋の閉じたシャッター。


16年後の町は、

記憶していたよりも

よほど広い規模になっていたけど、

やっぱり

なにかから取り残された切なさをもっていた。


ああ

奄美には、

沖縄が

この16年で失ったものが

まだ残留しているんだ。


加計呂麻島に渡ると、

また一歩

世界から遠のいた気がした。

だれからも

認知されていない世界へ

世界の奥のほうへ

歩みをすすめている気になる。


世界の裏側を

歩いているような気がして、

こころが妙に動揺する。


ノコギリの歯のような

半島状の崖によって

世界から閉ざされ

点々と散りばめられた

集落。


だれも見たことのない世界のあちら側の、

その路地を、

平然と散歩する住人がいる。


強烈な憧憬と、

強烈な心痛と、

強烈な畏怖と。


まるで、

名前のついていない現象に対する

心の動揺のように。


だれも見ていない夕日が

だれも見ていない海に沈んでいく。


・・・


BRUTUS No.645 8/15号

表紙に、chill out という文字を見つけたので、手に取った。

「心を鎮める旅、本、音。」

という特集、

チルアウトの冒頭に取り上げられていたのが、

奄美だった。


ああ

やっぱり

そうなんだ。


チルアウト。

(電子音が好きな人にとっては、むしろ懐かしいコトバ。)

癒しのたんなるいいかえといってしまえそうでもあるけど、

90年代に

STUDIO VOICEがビートニクを再提示したときのような

軽い

酩酊感を味わいながら

本屋の椅子にこしかけて

しばし読み耽った。


「現代の都市生活はハレとケのコントラストに占めるハレの割合が極端に多く、むしろチルアウトの時間に祝祭性がある、と茂木氏。」

(BRUTUS No.645 8/15号 より)

投稿者 vacant : 2008年08月08日 22:54 | トラックバック
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