2010年07月19日

「注意すべきは発足期にたつ支那であって、日本の時代は過ぎたのではないか」
ーー清沢洌(1929年10月、『転換期の日本』)


世界恐慌の頃に清沢洌が外国人から聞いたとして書き著している言葉だが、状況説明のために清沢自身が作り出した言葉といっても良いであろう。「日本はもう行くだけ行ったのではないか。進むだけ進んだのではないか。生々たる発育期をすぎて、静止状態に入ったのではないか」という文章に続く言葉である。
日本の行き詰まりは常に隣国中国の勃興との対比で語られるというのが近代日本において繰り返された思考のパターンであることがよく理解される言葉といえよう。現在我々は何回目かのこのパターンに入っているわけである。
清沢は言う。「日本は今悩んでいる。日本はどこへ行くのだ、日本は何をするのだ、日本はどうなるのだ、そういう声が、秋の稲穂が風にささやくように、どこからともなく聞えて来る」「現代日本の著しい特徴は悲観と不安である」。悲観と不安の中このパターンはどのようにして乗り越えられて来たのか。歴史に学ぶべきであろう。
(筒井清忠・帝京大教授)


(「今に問う言葉」2010年7月19日 読売新聞)

投稿者 vacant : 2010年07月19日 15:46 | トラックバック
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