2007年11月12日

山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に云われた。二三年で出なければ後は心配いらない、とにかく要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上ーー我慢出来たら五週間位居たいものだと考えて来た。

・・・

そうして気がつくと喬は、もう五週間どころか五百日程も走り続けているのだった。
夜の澄んだ空気、青白い外灯に照らされて、子供が一人家の前の道路で遊んでいる。
小さな堀川に沿って土手堤に向かう路地は、人も車も通らない。
まるで照明に照らされた劇場舞台のように、子供が遊ぶ影。
喬はこの土地で生まれた訳でもないのに、暫く忘れていた郷愁がこみ上げてきた。

堀川は、水門を経て丁字にぶつかるように大川に合流する。
喬も、大川の土手堤へと階段を駆け上った。
夜の土手は無風だった。大川の対岸を光を見て、喬は息をのんだ。
そこには、西暦2057年の首都高速C2線が走っていた。

うわ、
これはヤバい。
夜のC2線、そして対岸の光。
こんなにヤバいとは知らなかった。
夜の大川土手を、レイ・ハラカミを聴きながら走る2057年。
なんだこのエンドルフィンは。
20世紀にクルマでSweet Melody Projectを聴きながら
湾岸線をブッ飛ばしていたときより
はるかに出てる。

はるか対岸のC2の光と伴走するように走る。
昔、友人Nが台湾駐留を命ぜられたことがあった。
短い休みをとって日本に帰ってきたとき、劉さんという台湾人の友人を一緒に連れてきた。
喬とNは、日本が初めての劉さんのために
自動車で富士山へと案内した。
生憎の曇天で富士山は見えなかったが、
帰途、夜の中央道から、甲州街道へと降りたとき、劉さんが
「AKIRAみたいな世界だ。」と呟いた。

先輩の車で初めてスキーに連れて行ってもらったとき、
カーステレオからは、みんなこの季節になると聴き始める
冬のラブソングが流れていた。
深夜未明のドライブイン、というものを初めて経験した。
みんなで白い息を立てながら、ホットドッグのようなジャンクフードを
ふうふう言い合って食べた。

走り続けると、K橋が見えてきた。

REI HARAKAMI 『UNREST』、
ナチュラル・カラミティ、
ハイラマズ、
ジム・ホール&パット・メセニー。

ジム・ホール&パット・メセニー、
現代の音楽のひとつの到達点。

深夜2時の渋谷TSUTAYAで、Prefuse 73を試聴しながら、
これこそ現代の音楽のひとつの到達点だ、と唯独りで興奮していた。
「若しも、私がミュージシャンだったら、つくりたかった音楽は此れだ。」と。
夜の脳は感情的に成り易い。
「ダフトパンクでもトータスでも、何かが足りなかった。此れこそだ。」

ナチュラル・カラミティは竹村延和も愛聴とのこと。
ライナーによるとデビュー前の竹村延和が、Natural Calamityのアナログ盤を回してたとのことだから竹村のほうが後輩なのか。
同じくライナーによると、ナチュラル・カラミティはヒップホップの影響下にあるのだそうだ。トミー・ゲレロも、ヒップホップの影響下にあるのだそうだ。
TSUTAYA渋谷店的には、Prefuse 73は、「ラップのないヒップホップ」と紹介されている。
つまり、ブレイクビーツのみってこと。私が望むもの。
ATCQは、偉大だった。
スチャダラパーの「サマージャム95」のトラックはボビー・ハッチャーソンの「Montara」。
Precise Heroが、このシンコのつくった偉大なブレイクビーツをそのままパクっている。
でも、彼のアルバムもまた最高。もろATCQの影響下。ジャネイロ・ジャレルも。

竹村延和は、トータスのTNTで最高のリミックスをつくり、
ジョン・マッケンタイアは、ステレオラブやハイラマズだけでなく、
なんとショコラとまで仕事をし、
そして、竹村延和はSpiritual Vibesという素敵なユニットをつくり、
そしてまたレイ・ハラカミのセカンドアルバムの帯に、推薦文を書いて居る。

そして、くるりも聴き直している。否、はじめてちゃんと聴いている。
なんでいまさら聴いてんだ。だからお前は駄目なんだ。
ある崖の上の感情が喬に呟いた。

気温が少し上がって来た。
いつのまにか半世紀が経過していたが、もう暫く走り続ける。