March 05, 2011

◆『吉祥院唐澤山』

えェ、本日は中央線沿線での落語会でござんす。

駅南口より降りまして七番に停まっております車輛に乗り込み、一ツ目の停車場の本立寺を過ぎまして次の上野町三丁目にて下車します。
先ずは腹拵えと炒め飯が評判という店に入りまして、昼酒を戴きつつ幾つか抓んでおりますと直に刻限を迎えまさァね。

『都民芸術フェスティバル2011 第41回 都民寄席』
@上野町・八王子市民会館

笑福亭羽光◆代書屋

「鶴光(つるこ)の弟子で御座居ます」

本編:
「『儲かった日も代書屋の同じ顔』」(四代目桂米團治:作)
「大阪市浪速区日本橋三丁目二十六番地、田中彦次郎」(笑福亭版の現住所と姓名)

サゲ:
「大福じゃァあきまへん、案は出尽くした」

入船亭遊一◆元犬

「我が落語協会には現在約二百名の芸人が所属しておりまして」
「前座が二十名、二ツ目が六十名、そして残りを真打が占めております」
「だから上が閊(つか)えておりますから、私達若手は健康に気を付けて一日でも長生きして、諸先輩方をひとりひとりお見送りしていかなければ出世はできません」

柳家蝠丸◆仙台高尾

「柳家蝠丸と申します」
「此の『蝠』という字が厄介でして、『へん』と読んだりもしますが、『こうもりまる』と呼ばれた事もありました」
「私の師匠は十代目桂文治で御座居まして、其の父親が初代の蝠丸で御座居ます」
「初代の蝠丸、昭和十八年に亡くなりました」
「葬いに参列してた方が蝠丸の弟さんに云ったそうです」
「『五十九でお亡くなりになるとは早過ぎましたな』」
「そしたら弟さん、『五十九なんて冗談じゃないですよ、弟の私が六十なんですから』と答えていたそうで」
「師匠文治は八十歳で亡くなったんですが、死ぬ前まで使ってました定期券がありまして」
「年齢を見たら六十五歳と書いてありました」

本編:
「浅草観音様の裏ッ手にある吉原の三浦屋には高尾と名の付く花魁が居り、此れが代代続いておりまして色んな高尾が出ました」
「六ツ指高尾、子持高尾、紺屋高尾、西条高尾」
「二代目高尾は仙台高尾と呼ばれまして、仙台候(陸奥仙台藩主伊達綱宗)に送ったとされる手紙にはこうあります」
「『夕べは浪の上の御帰らせいかが候館の御首尾は恙無くおわしまし候や御見のまも忘れねばこそ思い出さず候(そろ)かしく』」
「何て薄情な女かと思いましたら、実はですね、いつも思ってるからこそ思い出す事はないという意味なんですね」
「仙台候より七千八百両で身請けされました」
「ところが此の高尾が因州鳥取の牢人、島田重三郎に操を立てまして仙台候に靡(なび)かない」
「怒った仙台候、お国訛り丸出しで高尾を責め立てます」

「訛りと云いますと、津軽弁では『降りる』は『おちる』、『済んだ』が『しんだ』になりますね」
「青森の駅員さん、にこやかな顔をして凄い事を云います」
「『おちる方がしんでからご乗車ください』」
「生きている内には乗れないんじゃないかと」

「餅米に粳米を混ぜたものを半分だけ潰して作った御萩を『はんごろし』、全部潰したのを『みなごろし』、蕎麦を『手打ち』と呼ぶ土地があります」
「此処に鄙びた宿で東京からいらしたお客さんを持て成そうとしている老夫婦が居ります」
「『爺様ァ、東京の客人さ、どうしてくれべぇか、はんごろしにすべぇかね』」
「『はんごろしじゃァ甘かんべぇ、手打ちにすべぇ』」
「此れを聞いておりました東京のお客様、『どうか半殺しも手打ちも勘弁して下さい!』」
「『あんれ、お客様、はんごろしも手打ちもお嫌だかかね』」
「『いいい命だけはお助けを!』」
「『じゃァ仕方なかんべぇ、みなごろしにすべぇ』」

「実は此の噺、仙台候ではなくて榊原様(播磨姫路藩主榊原政岑)だったとも伝えられております」
「徳川様の御威光で酒井榊原本多井伊の名を出せなかったという理由で仙台候に変えられたのかもしれません」
「味噌を付けられたのは仙台候でして、仙台味噌てぇのは此れから始まったと云います。仙台高尾の一席で御座居ました」

お仲入りで御座ィます。

青山忠一◆解説

青忠さん、小沢昭一さんや加藤武さんと共に早稲田大学で落研を創立された方だそうで。
今年で八十二歳と仰います。

「蔵前神社に『元犬』像が立てられまして、序幕式に参加しました」
後で調べるてぇと、昨年の六月に建立されたと云います。

此の方、解説が佳境に差し掛かりますてぇと「てんしょん」が上がってるンでしょうか、腕の動きが激しくなりまして、右手に持った「まいくろふぉん」が音が拾わなくなります。
客席から「聞こえないよー」と総突っ込みされてまして、「何で笑われているのか分からなかった」と改めてまいくろふぉんを持ち直すンですがねぇ、矢張りてんしょんが上がりますてぇと腕の振りは激しさを増すンですなァ。

ロケット団(三浦昌朗・倉本剛)◆漫才

「じゃァ行きます、次の四字熟語を答えなさい。『次から次へと問題が起きて収拾のつかない状態』」
「えーと、『相撲協会』?」

寄席で幾度か聞いた事のある「今更何云ってんですか、そんなの山形じゃ随分前から使ってますよ」

根多は健在で御座ィました。
「石油入りて」
「前乗りてぇ」
「君一人(しとり)?」
「歩ぎにん」

柳家権太楼◆笠碁

「白夜を見に北欧に行った事があるんですよ」
「・・・只の昼でしたね」
「白夜ていうから物凄い事が起きるのかと期待するじゃァないですか」
「只の昼って云われたら行かなかったのに」

今更ながらに此の噺に出てくる二人の関係性を単語で理解しました。
感覚だけで聴いてますてぇと、気が付かない事もあるもんで。

◇美濃屋の隠居 ・・・ 「待った無し」、白い碁石、相手を「ざる」と罵倒、大山詣りの笠
◇近江屋の大旦那 ・・・ 「待った」、黒い碁石、相手を「へぼ」と罵倒、碁盤の所有者

追い出しが鳴りましてお開きで御座ィます。
再び車輛に乗りまして東へと向かうてぇと繁華な街にゆきあたります。
目指す「あて」がありまして、目当ての店に辿り着きますてぇと、開口一番に品の名を伝えまさァ。
待つ間、卓の脚が曲がる程の品が目の前に並び始めたところで丁度時間となりましてお後と交代で御座ィます

(了)

<覚ヱ書キ>

◇立川談春
ご自身が被写体である橘蓮二氏の写真展に居らしてました。
@新宿三丁目・紀伊國屋画廊 『橘蓮二写真展「噺家」』

投稿者 yoshimori : March 5, 2011 11:59 PM
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