March 01, 2011

『飯田町』

えェ昔から「婀娜な深川 勇肌は神田 人の悪いは飯田町(あだなふかがわ、いさみはかんだ、ひとのわるいはいいだまち)」なんてぇ申しまして、土地土地の藝者衆の気質を詠み込んだなんてぇ勘繰るのァ深川が色町てぇぐれぇでして、後の神田(かんた)はお職人衆の町屋ですし、飯田町飯田橋辺りから麹町に掛けての町名でして、御武家様が数多く住まってらしたンですね。
将軍家の禄を食む直参とは云え、旗本どころか御目見え以下の御家人なんてぇ下から数えた方が早ぇ身分でして、更に云やァ御世継ぎでもなけりゃァ総領の甚六でもねぇ次男三男坊てぇのは何ンンにもするこたァ無ぇてんで、捨扶持の部屋住みの飼い殺しとまァ三拍子揃った肩身の狭ァい暮らしをしてたそうで。
まァそうなるてぇと「のーふゅーちゃー」でござんすから、お侍様とは云え自然とぐれちまう訳で御座ィまして、主の無ぇ牢人でもねぇのにさぞかしやさぐれた暮らし向きだったンでしょう。
又、飯田町には火消屋敷てぇのが御座ィまして、大名屋敷専門の定火消(じょうびけし)が居りました。
じゃんと半鐘が鳴るてぇと威勢が好くって頼りンなるの好い兄ィらも、火の立たねぇ時にゃァそらもう暇でござんすから、博打に喧嘩強請りたかりが本業かと悪態吐かれるくれぇに江戸ッ子からにゃァ嫌われたり好かれたりしたンでしょうなァ。

やさぐれ御家人と倶利迦羅紋紋(くりからもんもん)背負った兄ィの住む町、飯田町。
町名には何の罪もござんせんが、どちら様もひとつよろしゅうと願っておきます。

(了)

投稿者 yoshimori : March 1, 2011 11:59 PM
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