March 24, 2011

『有馬ノ字鷺沼耕地』

日暮れ時、節電も手伝って仄暗い大通り沿いの歩道を歩いている。
背後より「すみません」と声を掛けられ振り向けば、車道に白塗りのセダンが横付けにされる。
助手席には世辞にも紳士とは呼べない、五分刈で細い眼鏡を着用した恰幅の良い日焼けた男である。
絵的にはそういう形ながらも何か困っているのかと思い、車輛に近付けば意外にも丁寧な会釈に続く台詞。

「道を聞くわけじゃないですけど、これ、会社に持って帰れないんであげます」

・・・手口が分かり易過ぎる上に他に幾つか云うべき説明を端折っている為、より胡乱(うろん)さに拍車が掛かる
野兎の毛色にも似た灰色の化粧箱を開けた男は中身をこちらに見せてくれる。
見れば、Bで始まりRを含むという見た事も聞いた事も無いメーカーの腕時計、しかもペアである。
彼と出会った頃から仲良くなれそうな気が一ミリもしないまま、結構ですと断ると、「買ってくれってんじゃなくて、あげるんですよー」と再度呼び掛けつつも、こちらの返事さえ待たずに走り去る。

これは巷間ではよく知られた古典的な手口であり、受け取り後に遭う具体的な被害の内容は失念したが、うかうかと受け取りでもしたら、小一時間では済まない押し問答、やがて恫喝にも近い怒声等等、面倒な事態は免れないのだ。
幸い交番も近く、地の利が無い彼らを逆に告発する手段も残されていたのだが、後処理を考えると人間を辞めたくなるほど気が遠くなったので止しといた。

明らかにブランド品ではない腕時計だったので即座に断ったが、これが贋物と分かっていても絵的に高級時計だったとしたら、うっかりうかうかと洒落のつもりで戴いていたかも分からない

本物志向で心底良かったとほっと胸を撫で下ろすのだ。(そうじゃないだろ)

(了)

投稿者 yoshimori : March 24, 2011 11:59 PM
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