November 26, 2011

◆『木賊刈り』

本日ァ湯島での落語会でござんす。

『第12回 菊之丞・柳朝二人会』
@湯島・湯島天神参集殿

三遊亭ございます◆子褒め

「わたくし、三遊亭ございますでございます」
「兄弟子は『ありがとう』といいます」

本編:
尺を短くしたのか、今年四十の伊勢屋の番頭さんは登場せず、即刻竹さんの家に向かいます。

春風亭柳朝◆悋気の独楽

「談志師匠の戒名、凄いですね、人前で云えない感じで」
「立川雲黒齋家元勝手居士という」

「私が二ツ目になった時、朝之助と名乗りたくて周りに云っておりました」
「四代目桂三木助の会で府中での前座務め最中に、お客さんが倒れちゃっいまして」
「三木助師匠より『お前、朝之助師匠の墓参り行ったのか?』」
「『え? 誰ですか、行ってません』」
「『駄目だよ、行かなくちゃー。今日だってお客さん倒れちゃったしさー』と云われました」
「私は春風亭なんですが、かつて先代の三遊亭小圓朝師匠の弟子に朝之助師匠がいらっしゃいまして、三木助師匠より墓参りを勧められました」
「談志師匠の著作本には、その朝之助師匠と仲良く肩組んでる写真が掲載されているんですね」
「で、談志師匠だったら朝之助師匠の墓の場所を知っているだろうと」
「根津にある談志の下へ、私の師匠一朝が三遊亭朝之助の墓所を伺いに訪ねたんですね」
「そしたら、談志師匠、『朝之助の墓? んー、知らね』という一言で」
「いろいろ伝をたどって捜しますと、ご親類の方が羽田にいるらしいと」
「で、羽田の電話帳でまでたどり着いて、朝之助師匠の本名の名字を調べますと七件ありました」
「幾つか掛けますとご親戚の方に当たりまして、教えられた寺で墓を見つけました」
「寺の住所曰く、『この墓はね、談志さんが建てたんですよ』って」
「知らないって云ったのに!」
「・・・まァ談志師匠らしいですねぇ」

古今亭菊之丞◆寝床

「前座の時に初めて務める寄席の楽屋で師匠方にご挨拶をしておりました」
「『圓菊の弟子で菊之丞と申します』と回っておりましたら」
「(五街道)雲助師匠から『付けたねー』と云われたのを今でも忘れられません」

「一度談志師匠の会に前座で務めさせていただいた時に」
「立川流では二ツ目に上がる為の昇進試験制度がありまして」
「談志師匠の出囃子の太鼓を立川流の前座の方が叩くんですね」
「その時、高座の袖で談志師匠が腕組みしながらじーっと見ているわけですよ」
「もう出囃子がずーっと鳴りっぱなしなのに」
「で、談志師匠が一言、『・・・駄目だな』って、そのまま高座に上がってゆきました」
「あとでそのお弟子さんは、うな垂れてましたね」

「東宝名人会にて桂べかこ改め南光襲名披露がありまして」
「談志師匠が乗り込んで来まして、(柳家)小さん師匠とやり合ったんですね」
「もう、襲名披露が台無しになりまして」
「後日、京王プラザで行なわれましたパーティーには、何故か呼ばれているはずの小さん師匠が来なくて、呼ばれてない談志師匠が来ていました」

しかし、段差から高座がまでが高い所為か、噺家の脛毛がよく見えますな。
お仲入りで御座ィます。

古今亭菊之丞◆幇間腹

「先程の『寝床』は(橘家)圓蔵師匠から教わった根多です」
「稽古付けに伺った時に、圓蔵師匠始めっから演り始めるんですが」
「『あたしこれで協会の相談役でして、誰も相談には来ないんですがね』」
「って、そういうところまで演ってくれるんです」
「あたしは『上戸で耳から義太夫を語り込む』って演りましたけど」
「圓蔵師匠のは、『ストロー』ですからね」
「『あんちゃん、俺のくすぐり全部使っていいよ』って云われましたが」
「・・・どれも使えませんよねぇ」

「幇間(たいこもち)の方は現在日本に五人いらっしゃると聞きました」
「この間、女性の幇間の方が入ったとも聞きました」
「(柳家)小満ん師匠から聞いたんですが」
「『鰻の幇間(たいこ)』の一八みたいに、憚り(はばかり)まで旦那の後を付いてゆくそうですね」
「旦那遊びしている方がお手洗いにひとりでゆきますと」
「『あー、俺何やってんだろうなー』って我に返ってしまいますので」
「それを防ごうと幇間の方がお供するそうで」
「扉の外から『大将、朝顔を狙ってくださいよ』とか云うそうです」

春風亭柳朝◆芝濱

本編:
女房が泣き言を云う勝五郎を平手打ちするくだりがあります。
でーぶい。

追い出しとなりまして、お開きで御座ィます。
蒸した豚を石の上で保温しながら、醤蝦(あみ)の塩辛をたれ付けて辛く漬けて刻んだ辛味大根、すらいすした赤蕪大蒜と共に浅漬け白菜に巻いていただきやしょうかねぇ。

(了)

投稿者 yoshimori : November 26, 2011 11:59 PM
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