2006年09月19日

(2006年9月17日(日)読売新聞朝刊 書評欄「本のソムリエ」より全文引用)

年を取ることが不安

私はまだ10代ですが、最近、年を重ねるのが嫌になってきました。大人になるにつれ、少女のころの純粋な感性、素直さが失われてゆくようで焦ります。年を取る事への不安がなくなる本をご紹介下さい。(埼玉県 高校生葵香子さん 17)

■回答 井上荒野(作家)

 純粋、素直であることは、そんなに素晴らしいかしら。ご相談を読んで、私がまず考えたのはそのことです。小さな子供が純粋なのは、まだこの世界のほんの端っこしか知らないからです。でも、人は、世界の端っこだけで生きていくことはできません。
 純粋でなくなっていくことを嘆いているあなた。一見美しいですが、正直に言わせてもらえば、たんに面倒くさくなっているだけのように思えます。あなたはもう、小さな子供ではない。あなたはもう十七歳で、十七年分の、いろんなことを知っている。知ったぶんだけ、面倒なことも増えていきます。生きていくのは面倒くさいものなのです。
 あなたはたぶん、そのことに気づいたんですね。そうして、あなたが探している「年を取る事への不安がなくなる本」とは、「面倒くさくない人生について書いてある本」なのでは? そんな本はないです(あっても私はきらいです)。かわりに『古道具中野商店』(川上弘美著・新潮社刊)を読んでほしい。
 飄々とした店主をはじめ、登場人物たちは、それはもう面倒くさく、日々を営んでいます。不倫したり浮気したり失恋したり、未来は見えないのに過去を引きずっていて、嘘を吐けば、嘘を吐かれ、駆け引きしてもうまくいかず、素直になりたくてもなれず。
 でも、べつに、特殊な人たちの物語ではないですよ。読めば、あなたは、登場人物の誰かに、きっと自分を重ねます。誰の人生も、こういうことの繰り返しで過ぎて行くのだとわかるでしょう。
 一方で、純粋さや素直さも、この小説の中にはちゃんと見つけることができるのです。私が思うに、それは子供時代から保存されている純粋さではなく、面倒くさい人生の過程で、あらたに獲得されるものです。
 この小説はとにかくおもしろいのですが、読み終えたあなたが、面倒くさい人生もおもしろそうだな、と思ってくれたらうれしいです。

投稿者 vacant : 2006年09月19日 14:37 | トラックバック
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