2006年09月21日

村上隆主催の「GEISAI」がこんどの第10回をもって終了すると新聞に書いてあった。
以前、GEISAIのホームページで、「終了か続行か」という議論を読んで気になっていたので
記事を見て、ああ正式に結論をだしたんだな、と思った。

GEISAIは過去に2度見に行ったことがある。
東京タワーの下の古い会館で開かれた第一回めと、
東京ビッグサイトで行われた何回目かに。
(奈良サンがジャンケンしてバザールをやってたな。)

思い返せば、
1990年代半ばには、「美術なんて二度と復興することはないだろう」と思っていた。
たまに美術手帖を見て
『これは誰々の絵ではない』とかいう題名のまさに美術の末期癌のようなパロディ作品や
古色蒼然とした典型的現代美術や、自我垂れ流しコンセプチャルアート、
タミヤ模型を使った村上隆の作品や、
その他もろもろのそういった作品にうんざりしていた。
これらの作品が新しいなにか(価値?)をうみだすことはないだろう、
これから来る時代に、絵の具や粘土でなにか新しいことを表現することなんて
もうできないだろう。極端にいえば、そんなふうに思っていた。
(ビデオアートに対しても
なんだか偶然性に頼った中途半端で胡散臭いものだと感じていた。)

その思いが大きく変わったのが、
「奈良・村上」と「横浜トリエンナーレ」(とそれから直島のスタンダード展)だったと思う。
そんなようにおおまかに記憶している。
(当時NHKで偶然見た『美と出会う』という番組も印象深かった。
山根基世アナが、内藤礼と束芋を取材する番組。山根アナの飄々とした感じが良かった。あの番組また見たいなー。)

GEISAIがスタートしたのも、「ナラカミ」ブームのそのころだった。
それから10回。村上サン曰く、
「このままでは一般の公募展と変わらないものになってしまうから」
とのこと。
(正直、私もここ何回かGEISAIのことは気にしなくなっていました。)

たぶん、これからますます
世の中で「ファイン・アート」的なものの果たす役割が
大きくなってくると想像するのですが、(いきなり大きな話ですが。)
(※大前研一訳『ハイ・コンセプト』の、もろ影響。 ISBN4-8379-5666-1 三笠書房 ダニエル・ピンク著)
そのひとつの大きなきっかけをつくったGEISAIの意義は大きかったと思います。

おまけ。
「現代美術」をテーマに、ネットを見ていたら
こないだのカルティエ財団展について
おもしろい記事をみつけたので貼っておきます。

●石原東京都知事がカルティエ現代美術財団を叱る!?

(関連記事: REALTOKYO - Out of Tokyo Kafka goes Tôkyô  紺洲堂の文化的生活  弐代目・青い日記帳 )

この記事の次の記事、↓これもおもしろそう。

●「わたしの中のよからぬものがジョビジョバァ」がアート作品のパクリであるという指摘についての考察

これひとつとって見ても、
世の中で「ファイン・アート」的なものの果たす役割が大きくなって
いる気がするでしょ。
なんか。


投稿者 vacant : 2006年09月21日 12:11 | トラックバック
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