2006年09月22日

池澤夏樹のメルマガ『異国の客』が、ひさびさに配信されてきた。
今回がなかなかおもしろかったので、貼っておく。

自身が大好きなゴーギャンと比べて、
ピカソの絵の見方を分析している。


「ゴーギャンならば一点の絵を何時間もかけて見ることに意味がある。
絵の中にしばらく居住するという感じ。
しかしピカソの前では時間を止めてはいけない。
つまりピカソという画家はミュゼ的でないのだ。
彼の絵は時間軸に沿って見る者も運動しながら見なければならない。
なぜならば彼にあっては変化にこそ意味があるのだから。
作品Aをじっくり見て、しかる後に作品Bを見るのではなく、AからBへの移行の過程を見なければならない。

そういうことをタブローからタブローへと足を運びながら考えた。
これで見たつもりになってはいけない。
一点ずつの作品の前に立ち止まらず、次々に変わるのを切り換えながら見続ける。
全生涯に彼が描いたものをすべてスライド・ショウで見る。そういう方法はないか? 」

「 一枚の絵が始まる時、終着点は見えない。
頭の中に一つの完成されたイメージがあって、イデアとしての絵があって、それを紙やキャンバスに写す(移す)のではない。
ゴーギャンの場合はそうだったかもしれない。
タヒティで目の前にモデルがいて、周囲の色というものがあって、そこで絵筆を取る時、彼の頭の中には完成された作品が既にあったかもしれない。
いわば描くという行為は頭の中に一枚のタブローができるのを待ってようやく現実界において実行されたかもしれない。
ミケランジェロは大理石の中に閉じこめられた像を解放するつもりで彫刻を作ったという。イデアは作品に先行したわけだ。

ピカソは違う。描きながらどんどん進む。立ち止まらない。
スタートの地点ではおおよその方向がわかっているばかりだ。 」


池澤夏樹 『異国の客 Stranger In A Strange Land』 発行:Impala より引用)


投稿者 vacant : 2006年09月22日 11:51 | トラックバック
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コメント

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Posted by: bilete avion : 2011年11月01日 16:22
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