November 12, 2005

無形文化財としての盥回し

ウランバートル、牛舎、24時18分。

「気仙人って居たの知ってる?」
知らないですね。
「気仙人が話すのは日本語じゃあないらしいね」
気仙沼の気仙ですか? 新沼謙治の。
「そう。仙台伊達藩に居たじゃない? 有名な、スペイン国王に会った人」
あー、知ってますよ、それ。えー、名前は出てこないけど。
「ハゼクラなんとか」
いやー、思い出せないですね。
「ナガマサとかそんな」
それっぽいっすね。けど、彼自身は不遇だったですよ。
「向こうでは家畜みたいな扱いだったらしいね。で、彼が連れ帰ったスペイン人の子孫が気仙人って言うね」
スペイン語っぽいんですかね。
「だいぶ似てるみたいよ」

後で調べると、支倉六右衛門常長とある。
洗礼名、ドン・フィリポ・フランシスコ・ロクエモン・ハセクラ。
奥州仙台藩主伊達政宗よりスペインとの通商貿易の交渉役を命ぜられ、サン・ファン・バティエスタ号にて海を渡り、ヴァチカンにてローマ法王に謁見を果たすが、「あー、そういうのはスペイン国王に一任してっから、うちじゃちょっとねー」との返答のみで、その後のレスは無く、挙句、国許では禁教と鎖国が発布され、どうにもならないまま帰国し、2年後に病没。
また、柴田郡川崎町支倉にある墓石には、「帰国後30年」に病没したとあるが、真偽の程は定かではない。

切ないのは、政宗に遣欧時の報告をした記録。
「南蛮国ノ事物、六右衛門物語の趣、奇怪最多シ(貞山公治家記録)」って記録されて、もう先方聴く気ゼロ。
太平洋と大西洋を7年掛かりで往復した偉業自体は、まあバティエスタ号航海士を称えておいて、支倉は何をしたかと言えば、ぶっちゃけ何もしていない。
いや頑張ったけど、結果無理でした報告だった上に、上司から「お前何言ってんの?」ってコメントされて立つ瀬も無し。
がしかし、現地には支倉らがエスパーニャ娘に仕込んだ子孫、ハポン(JAPON)姓のスペイン人が今日でも、年に一度の牛追い祭りを心待ちにしながら、祖母の作ったパエリアを口に運んでいるわけですよ。

気仙人とハポンファミリー、遠く離れてルーツは仙台。

投稿者 yoshimori : November 12, 2005 01:14 PM | トラックバック
コメント

うぉ、しびれますね。支倉。
あの時代に、世界をまたに掛けた、空回り。

JKA会員※の僕としては、すぐにでも支倉を
支部長に推薦したいですよ。

※JKA(Japan Kawamawari Association)
 全国に広がる、「空回り人間」のための
 機関。「空回り」の救済を目的とはしておらず、
 「空回り」を科学的に分・・・・・・・


あぶない、あぶない。回ってました。

Posted by: ムラ男 : November 13, 2005 01:02 PM

JKA(Japan Kawamawari Association)
あれ? カワマワリ?
いやーな揚げ足取りではありますが、故意ともとれる皮周りでお願いします。

Posted by: 義盛 : November 14, 2005 01:14 AM

言い訳

そうですよ。ミスタイプですよ。だってボタン押した後で気付いたんだもん。どうしようもないですよ。
それにちゃんと書いてるでしょ!僕はJKA会員ですよ!公共性のある場所でこそ、回りたくなっちゃうんですよ。

支倉さん 入って下さい JKA
時はちがえど 空回り

Posted by: ムラ男 : November 14, 2005 06:30 AM
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