August 04, 2010

『八月上席~城北総鎮護』

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」

とは、『阿房列車』で著名な内田百閒先生の秀逸なる一文だが、何も西方あなた大阪まで足を伸ばさずとも、この崇高なる精神を忘れまいと、小生も無目的な移動を繰り広げる日々を過ごしていると自負している。(何の自慢だ)

ぼんやりとバス停で並んでいると、緑色の後ろに長い車体が停車するので、人の後ろに着いて乗り込み、所持したバス共通カード(5850)をスロットに挿し入れようと突き出すが、赤い文字で注意を促すような一文を記した紙片が貼られており、磁気カードの行く手を阻んで止まない。

前方を直視した姿勢のままの運転手に問う。
あー、君きみ、何だね、これは。

「あ、すいません、それ、7月で終わりました
終わりましたって、何かね、もう使えないということかね?

「早く云えばそうです」
遅く云ったって同んなじだよ
、君ぃ。

「後ろがつかえてますので、お早く」
む、いかんな、手持ちが、あ、いや、これを使おう

バス共通カードが7月を以って終了しているとも気付かずに使用しようとして運転手より制され、一方的な問答を繰り広げた挙句に敗北するという恥辱を公衆の面前で味わわされたので、致し方もなく非接触型ICカードを用いる。
この局面で当カードにチャージされた残額が不足していれば、更なる辱めを受けるところだった、と今はほっと胸を撫で下ろすのだった。

車窓より過ぎ行く景色を眺めていると、当然意識は消失する。
終点ですもう何処にも行きません、という旨のアナウンスが聞こえ、最後の客として後部より降りるのだった。

かの事由により、うかうかと早稲田まで来ている。
後で気付くことになるのだが、終点早稲田で下車した目前には、東京都交通局早稲田自動車営業所があり、当所にて払い戻し可能だったという。
この時点では知らないのだから、うかうかと通り過ぎるしかないのだ。
※追記:
実は所持していたカードは神奈川中央交通発行であることに気付き、上記の東京都交通局の営業所では払い戻し不可と知る。
恥を上塗るところだった。

早稲田大学大隈講堂を左に眺め、坂を下る。
右手には、寶泉寺(ほうせんじ)が見え、早稲田通りへと出る。
交差点向こうには、赤い鳥居と石段が見える。

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ana-hachiman_02.jpg
穴八幡宮@西早稲田二丁目

鳥居より正面左側には徳川家由来の流鏑馬像が鎮座も、馬にも弓にも矢にもさほど関心がないのでスルーしておく。

穴八幡宮の名は17世紀、境内に別当寺(放生寺 ほうじょうじ)を建立せんと社僧が南側の岩壁を整地する際、掘削した横穴より金銅に輝く阿弥陀如来像が出土したという逸話に由来する。
漁網に掛かった観音像に由来する浅草神社に然り、大概の神社は何処かより仏像を拾っての命名と相場は決まっているのだ。

小生、当社参詣は初である。
私事で恐れ入るが、先日自宅で寛いでおり、暇を持て余して東京メトロが配布する今月号のフリーペーパーを手にしたところ、紙面と紙面の間より当社の札が発見された。
実はこの札に関して一片の記憶もない。
表面は髭文字的に難読で判読不明なのだが、裏面に「東京牛込高田鎮守」とあった為、はたと膝を打ち、こは穴八幡宮が配布する守り札であると得心した。
しかも二年も前の札であった。
(後に文字は「一陽来復」と判明。商売繁盛祈願という)

何故訪れたこともない小生の自宅にその札があったかという事情については割愛させてもらうが、兎に角、一度は来ずばなるまいと思いつつ時は流れ、本日思い付きにて参拝に至ったわけである
(しかし、無目的な行動がゆえに、返納すべき札は当然自宅に置き去り)

やけに白く輝かしい石段を登り、妙に艶々とした赤く光る鳥居を幾つか潜り抜けて本殿へとたどり着く。
11世紀よりこの地を鎮守していると社伝にはあるのだが、こぎれい過ぎる社殿は真新しく、掃き清められた境内には赤いパイロンや工事中との立て看板が其処彼処に溢れ、源氏も徳川家も時代も微塵も感じない。
無論、創建時とは神社自体も周囲の環境も同一でないことは承知の上なのだが、少々肩を落とす結果となったのは返す返すも残念である。

それでは、と西早稲田より地下深く潜って帰ることにしよう。

(了)

◆天台宗 禅英山了心院寶泉寺(薬師如来)
◆高野山真言宗準別格本山 光松山威盛院放生寺(聖観世音菩薩)

(0824工期満了)

投稿者 yoshimori : August 4, 2010 11:59 PM
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