2010年10月31日

『オノマトピア——擬音語大国ニッポン考』桜井順(岩波現代文庫) より引用


 〈もともとたべものは、舌の上の味わいばかりで美味いとしているのではない。シャキシャキして美味いもの、グミグミしていることが佳いもの、シコシコして美味いもの、ネチネチして良いもの、カリカリして善なるもの、グニャグニャして旨いもの、モチモチまたボクボクして可なるもの。ザラザラしていて旨いもの、ネバネバするのが良いもの、シャリシャリして美味いもの、コリコリしたもの——ざっと考えても、以上のように触覚がたべものの美味さ不味さの大部分を支配しているものである〉

(北大路魯山人)

2010年10月30日

『オノマトピア——擬音語大国ニッポン考』桜井順(岩波現代文庫) より引用


 〈やがて壺がほかほかと湯気をたててあらわれる。フォークを入れてべろべろしたものをひきあげて皿にとってみると胃袋だった。とろとろに煮込んであってむっちりと柔らかい(中略)皿のソースを一滴のこらずパンで拭いとり、そのパンのさいごのひときれを呑みこみおわると、女はぐったりとなって壁にもたれた。薄く汗ばんで、頬が薔薇いろに輝き、うつろな眼がうるんで、暗がりでキラキラ閃めいた〉

(開高健『夏の闇』)

2010年10月29日

『オノマトピア——擬音語大国ニッポン考』桜井順(岩波現代文庫) より引用


うとうと


 〈うとうとと生死の外や日向ぼこ・鬼城〉
 陽だまりのねむ気の構造を、これほど鮮やかに哲学し切った表現もないだろう。
 ウトウトは肉体のねむ気であると同時に存在のねむ気。日本人独特の自他未分明、生死未分明の世界をまるごとオノマトペに包んでしまった。
 ウトウトの源を辿れば、夢・現世という対語のウツツの方までがいつしかユメと紛れてユメゴゴチを表すようになり、ウツツ→ウツラ→ウツラウツラ→ウツウツ→ウトウトと転じたものらしい。
 日向ぼこの原型はヒナタホコリ。ホコホコはホカホカ、ホクホク同様、温くもりのオノマトペ。
 作者村上鬼城は一九三八年に73歳で没した鳥取県出身の俳人。初め子規に教えを乞い、後に虚子門下の重鎮となった人。
 オノマトペを使った作品が非常に多い。
 〈残雪やごうごうと吹く松の風〉
 〈ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな〉
 〈松風のごうごうと吹くや蕨取り〉
風にまつわる描写が多いのは、幼時に没落士族の一員として江戸を落ち、一生をカラッ風の上州で暮らしたためだろうか。しかし実はこの風の音、鬼城の耳には聞こえていない。
 若い頃から強度の難聴だった鬼城は、望んでいた軍人仕官の途も諦めざるを得ず、句作に入るキッカケも、その挫折感の周辺にあったようだ。その難聴は(うしろに迫る電車の音も聞こえない)ほどだったようで。
 〈芭蕉忌や弟子のはしなる二聾者〉
芭蕉の弟子の一人であり一種のパトロンでもあった江戸の金魚問屋杉山杉風に対しては同じ聾者ということからシンパシーが深く、〈ホトトギス〉に載せた〈杉風論〉に〈ここに人あり。六尺堅固の身を保つとも一旦耳目を失へば命を失ひたるに等しく、昨日の我は忽ちにして今日の竹頭木屑たり〉とその心情を吐き出している。
 聾者は聞こえない音を聞こうとして、そのぶん音に対するコダワリが強くなり想い入れが深くなる。晩年のベートーベンの作品が証明するように主観が肥大し、自閉のはてのひとつの境地に達する。師の虚子も〈耳疾が貴君の主看の濃い独特の作品を生んでいる〉と評した。
 〈種蒔いて暖き雨を聴く夜かな〉
 〈静かさや冴え渡り来る羽根の音〉
などは、諦念の奥に心耳が聴きとる音だろうが
 〈さみしさや音なく起って行く螢〉
となると、健康な耳にも聞こえるはずのない音にまで、ひがみと紙一重に屈折した執念が向けられる。つねに視覚を聴覚へ変換しようとする一種の心理的過補償作用だろう。
 その点、
 〈雷の腹にひびけるうれしさよ〉は、音を体性感覚・触覚で捉えた素直なよろこびだが、触覚の主役はやはり〈手〉。
 〈大南瓜これを叩いて遊ばんか〉
 〈乾鮭をたたいてくゎんと鳴らしたり〉
禅問答めくが、南瓜、乾鮭と同時に〈手〉も鳴るわけで、鬼城の場合〈手〉はそのまま〈耳〉となる。そしてタタクという〈T〉音は、舌による〈手〉のイミテーションに他ならない。
 〈うつろ木のたたけば鳴りて桜かな〉