November 20, 2010

『十一月中席(千龝樂)~第拾捌使徒』

私が上京して既に18年が経つ。
(埼玉に二年間勾留という消せない過去も含むが容赦願う)
油断しまくりでのらくらと過ごしているうち、重箱みたいに歳ばかりを重ねているのだ。
二つ上の諸先輩方が立ち上げた団体が今年で20周年を迎えるという。
招待を受け、一路目指すは北埼玉にある最果ての村である。

13時、池袋駅にて同行者と合流。
現時点にて同行者を含め私は既に鉄道用語で云うところの酔客である。
これより湘南新宿ラインなる名とは裏腹に、うかうかとするとまっつぐと群馬まで連行されるという、降り過ごすと致命的な路線に乗るのだ。
しかも座れないし。

目的地の最果ての村とは、関東では例年最高気温を更新するという不名誉な実績でしか知られていない不毛な土地である。

・・・池袋より発って、約二時間後に到着。
新幹線に乗るとなると、大宮からは十数分で着くという。
誰が乗るもんかという意地だけでの小旅行

北口より俗界に下りてみると、私が棲まっていた頃よりは多少栄えているように見える。
目指す会場は直訳すると「王」の後に「大使」と名付く、ネーミングだけは恐れ多くも畏い大仰な名のホテルの一室。

久方振りの顔触れがほぼ不変であるのも驚異的ではある。
それでも家庭を持つ方々はそれぞれに小さいのが増えている。
十数名の子達が群れているのだが、どういう訳だか男児はひとりしか居ない。
出生率における男児は生物学的に脆いという自然に摂理に従って女児に勝る筈が僅か一名なのだ。
そして、気の毒なほどに父親似の娘を確認してしまい、微笑ましくもなるのだ。

此れが一軒目

二軒目、十数年振りに伺った地階にある店。
名こそ違えど階上にある店も同系列という。
現時点では未だ子達は小上がりに居たようだ。
子達の卓にひとり髭面の後輩が着座しており、大勢の女児の中に大きい友達がひとりという絵的には事件に発展しそうで他人事ながら憂いたりもする。

三軒目、最早子を持つ親達は宿或いはそれぞれの家に帰り、残るのは募られた有志ばかりである。
十数年前に見た記憶のある映像が目前で再現されている。
それは輝かしくも美しい想い出とかそういう綺麗事ではなく、今の私を創り出した飲んだくれ事始(ことはじめ)の瞬間の再来なのだ。

悪い大人の見本市であり、裁きの時がいつまでも訪れないぐっずぐずなカオスであり、色気のないソドムであり硫黄の雨が降らないだけのゴモラでもある。

四軒目、翌日に知る事になるのだが、同行の先輩のひとりは当店にて記憶なく麺を手繰っていたという。
自分の頼んだ丼を床に引っ繰り返した挙句、代わりとばかりに隣席の同級生より麺の入った丼を奪い取り、そのまま完食した事実を覚えていないというのだ。
更に云うと、翌朝の朝食の席にて「俺、麺類なんか食わないし」と宣(のたま)い、其の振る舞いに慣れてる筈の周囲を驚愕させたりもする。

五軒目此のままでは命が危ないと覚り、先輩の家族四人が宿泊する宿の一室へと逃げ込み、部屋の隅で震えながら小動物のように丸まって眠るしかない。
無論、鳴り続けている携帯電話への着信には出ない

願わくば、此の安らかなる楽園へ野に放たれた虎が入って来ない事をただ祈るばかりである。

(了)

投稿者 yoshimori : November 20, 2010 11:59 PM
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