2007年06月21日

天国は、緑色なんじゃないか。

しかも、160円で行ける。

天国は、快晴で、空気を見ているだけでまぶしくて、

そして、緑色だ。

木場公園の、南のなかほどにひらけた広場は

紫外線が緑に反射しすぎたせいか

現実感のない風景だった。

芝草のどこまでも真っ平らに広がる地面に

ぽつんぽつんと

それぞれカタチのちがう樹が

どれもたわわに緑の葉を繁らせて

その足元に涼しげな影地をつくっている。

広場のぐるりを

深緑の樹々がお守りのようにとりまいているけれど

代々木公園とちがうのは、

なによりここは真っ平らだから。

私はその広場の縁(ふち)の

影のないベンチに晒されて

ハワイかアフリカか、天国の木を見るように

ひんやりとした木陰をながめている。

思えば

かえって夏場には、この種の快晴はない。

空気中の湿度が、

光の緩衝材となってしまうから。

目に刺さるような蒼穹は

かえって六月のものなのだ。

・・・

マルレーネ・デュマス 『ブロークン・ホワイト』展

東京都現代美術館
2007年04月14日 ~ 2007年07月01日

なによりも心動いたのは

第一歩。

広いホワイト・キューブの会場にはいったときの

空間の独特の空気感。

うわ・・・。

この美術館はもちろんはじめてではないが

3階展示室に入ったときだけでなく

1階展示室に入ったときも、

天井への広がりを感じるホワイト・キューブと、

空間的余裕をもった

(ときにやや高い位置への)展示に

よろこびを感じた。

・・・と書いて

実はこれは、あらまほしき先達のブログとまったくの同意見。

⇒ 「マルレーネ・デュマス展は怖いよぉ~」

この方は、「フランクフルト現代美術館を思い出したな~!」

と書かれていますが

寡聞にして不勉強な私は

できたての青森県立美術館を思い出してしまった。。。(?)

目で見ての印象だけでなく

匂いもまた

新品のホワイト・キューブの香りが空間に満ちる。

これは作品の絵の具の臭いか

それとも養生した白壁のにおいなのか。

と、MOT讃歌はこのくらいにして・・・。

・・・

マルレーネ・デュマスの話。

ほんとうは、展覧会に足を運ぶのが、ちょっとおっくうだった。

だって、「ペインティング」でしょ。

筆致も顕わな。

今日び、ペインティング・・・。

(いや、“絵画の復権”のほうが、今日っぽいのか。かえって。)

私は寡聞にして

彼女のことは知らなかったが、

デュマスは現在、世界的に最も注目を浴びている女性アーティストのひとり

だという。(蛇足だが、オークションの値段も女性最高値なのだとか。)


縦長のカンバス

そこに

全身大の人間を描くのが特徴。

あるいは

カンバスいっぱいに顔を

(ときにはみ出すくらいに)

描く。

グリーン系の光・影と

レッド系の光・影が

画面上に同居。

カタチを表すのに白を恐れなく使う。

陽画(ポジ)のなかに部分的に

陰画(ネガ)の色彩を使うような、

裏切りのある大胆な色遣い。

筆致、顕わにして、

カンバスの隅まで丹念に塗りこまれ。

茫洋とした顔面に

眼鼻ならびに口のみ

生き生きと筆写され。


フランシス・ベーコン、

ウィレム・デ・クーニング、

初期(?)バスキア、

おまけに

トーキング・ヘッズのアルバム『リメイン・イン・ライト』まで

意味もなく

頭を去来して。

もちろん、

それらとはまったく違う絵だ。

ただ

なにがいちばん違うかといえば

それは

彼女が女性だということじゃないか。

(“キケン!”)

そんなことを思いながら。

気持ちよい展示室のなかをふらふらする。

画風がすわってきた。

この、『人間の三脚』、買って部屋にかざったら、いいナ。

こんな展示室みたいな

家があったら。


画家曰く、

“美術の目的は、昔から変わらない。それは、あなたに自分の名前すら失念させること。”

また曰く、

“美術への間違った態度、それは、意味を求めること。少女の下着を脱がすかのように。”


(注:どちらもうろおぼえ)

これは、

画家から鑑賞者(批評家)へのメッセージである

というより、

女性芸術家から男性的な脳ミソへの忠告に

思えて仕方ない。

どちらの発言も、

女性の口が発してこそ、

まったく新しく輝くコトバではないか。

(“キケン?”)

目の前には、

服を剥ぎ取られた、男たちが並んでいた。

・・・

展覧会のタイトルは、

荒木経惟の写真作品をもとに描いた新作《ブロークン・ホワイト》(2006)

から採られているとのこと。

もとになった荒木の写真をみると、カメラの日付機能が

1995年を示している。

1995年。

ほんの少し前に日本で撮られた写真が

南アフリカ出身の画家に模写され

もう、

美術の歴史の一部として

刻まれている。

1995年は、もう歴史の一部なのだ。

(ちなみに

スチャダラパー(SDP)の『サマージャム’95』

もこの年の歌ですけど。

失礼。)


また荒木の

『中年の女たち』という驚くべき連作が、

デュマスの代表作といわれる《女》(1992-93)

とシンクロするように展示されていたのも

とても興味深い企画だった。


さいごに

1996年に早くも彼女の個展を日本で開いたという

ギャラリー小柳さんの

先見の明に

改めて畏敬の念をこめて・・・。

(???)

Marlene_Dumas_Broken_White.jpg

2007年06月13日

Claude_Monet.jpeg

大混雑の国立新美術館。

『大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産』

うかつにも、
NHK新日曜美術館で特集されたあとの
最初の休館日明けだったから。

ふつう休館日は月曜かと思わせておいて
ここは火曜日が休館日だから、
肩すかしをくって
水曜日にくる人、
意外と多かったんじゃないかな。(てゆうか、私です。)

とにかくお腹がすいたので
3階のポール・ボキューズのレストランまで昇ってみる。

(ポール・ボキューズ・・・、知ってる名前だ。
『美味礼賛』で
辻静雄が出会った三ツ星シェフの名前だ

しかし、
みな考えることは一緒で、レストランも長蛇の列・・・。

・・・

今回あらためて

モネはマニアックだと思ったのだが、

なぜかというと、おそらくモネの性癖は

「見えないところが好き」という境地にまで

達していたんじゃないか、と思ったからだ。

それは、例えば

『エトルタの日没』の真逆光の岸壁。

逆光に塗りつぶされた真っ暗な面積のなかに

なにかが見えるような

なにも見えないような。

『サン=タドレスの海岸』も同じ。

モネの声が聞こえてくるようだ。

「ウーン、此処の所、見えねェなァ、たまんねェなァ。」

有名な『日傘の女性』も、

傘の影になった女性の顔は

画家のいる距離からでは、なんだかよく見えない。

(なにしろまわりの外光がまぶしすぎるから。)

『舟遊び』の水面に反射した女性の姿も、

なにしろ水面が深緑色だから、どうしても黒い影のようになってしまう。

そこが

なにも見えない「無」のようであり

そのなかに微かに何かが見えるようであり、

そこの微妙な境界線を見つめながら

画家の心に芽生えた

マニアックな興奮に思いをはせてみる。

風景画を描く

ということは

「見えるものを描く」

という行為だからこそ、

ただ見えるものを描くことに飽き足らなくなったあとには

「見えるか見えないかわからないものを、見る」

というところに、

やりがい、というか興奮を覚えるようになっていくのではないだろうか。

大家、とか、その道のプロ、には

そのような、

ひとつ飛び越えたマニアックさ、というか

好事家のような、というか

性的倒錯のようなところが出てくるんだと思う。

・・・

そんななか、

心のベストテン第1位はこんな絵だった。

『サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会から見たドゥカーレ宮』。

西日を浴びすぎた向こう側が

まぶしすぎて、それでいて

時刻的には、もう光量が足りないせいか

まぶしいのに、逆に輪郭ははっきりせず

とけたように、燃えるような色に、輝いている。

どろどろの蝋細工のように

もう、なんだかわからない。

・・・

そして、『ルーアン大聖堂』の連作だ。

こどものころ

河出書房新社のシリーズ『世界の美術』(座右宝刊行会編 絶版)の

モネの巻の巻末の解説に

このルーアン大聖堂のことが書いてあった。いわく

・・・朝の光のルーアン大聖堂と、夕方の光のルーアン大聖堂はちがう。

何歳のころに読んだのか忘れてしまったが、

当たり前のことに

目を開かされた。

そして今回、

ここにも

「見えるか見えないかわからないものを、見る」という

モネの意志が見えた気がした。

『チャリング・クロス橋』にしても、『国会議事堂』にしてもそう。

その点、

このルーアン大聖堂を

単なる「カラーバリエーション」としか捉えられなかった

ロイ・リキテンスタインの作品は

あまりにも浅い。

時代の流行りだったとはいえ、

あまりにも形骸的で、表面的なものの考え方だ。

ロイ・リキテンスタインは、アホだ。

そうでなければ

物事をわかっていながら知らないふりする不届き者だ。

・・・

今回の展覧会の

新しい試みは、

「モネの遺産―モネと20世紀」と題して、

モネからつながっていると思われる現代美術の作品を

いくつも掲出しているところだ。

(観客のおばあちゃんたちは混乱してたけどね。)

そのなかに、

ウィレム・デ・クーニングの作品があった。

『水』 1970年作 107x80cm  国立国際美術館蔵

うわ、と思った。

これは、見たことがなかった。

例によって、しばらく立ち止まってしまった。

額もいい。

この絵がほしい。

飾りたい。

水色の色のくすみぐあいが

ステレオじゃなくって、

モノラルのレコードから出てくる音みたい。

(そこがヴォルスと似てる。)

サム・フランシスもいいけど、

そこの切なさの種類がちがう。

サム・フランシスは、

切ないくらいに晴れわたった夏休みの空の下で

食べるかき氷みたい。

そしてステレオフォニックだ。


期せずして

たくさんの

現代美術作品を見ることができて、たのしかったけど

あの画家をいれるべきじゃないの?

とも思ったりした。

初期カンディンスキー

スーティン

それから、

未来派のバッラ

・・・

なんの本で読んだのか、

ミッシェル・フーコーを引用しただれかの本を

思い出した。いわく

性的嗜好というものは、

その人に本来備わったものではなく

時代や環境の情報が

その人にそうさせるのである、と。

(・・・あ、『ウェブ人間論』で平野啓一郎が言ってたんだ。)

晩年のモネには

筆致あらく、ほとんど何のモチーフかわからないものもある。

それなのに

モネはOKで、抽象絵画はNGな

おばあちゃんたちの感性は、

フーコーのいう「情報に操作された性的嗜好」

と同じだといえないだろうか。

そしてそのことは、

クーニングやヴォルス、ポロックへ

執着する私にも、

いや私にこそ

言えることなのかもしれない。


2007年06月11日

終着駅のS駅を降り

南口へ出た。

途中、車窓を雨粒が濡らしたこともあったが

いま、空はいい天気だ。

青空も白い雲も、淡々と、弱々しい色なのに

照らす射光の紫外線だけは

やけにぎらぎらと強い。

そんな天気だ。

この駅は、はじめてじゃない。

おおよその道順はわかっているつもりだ。

のどかな小さな通りを南へ。

T橋をまたいだら左折。

いままたいだ川の流れに沿うように

曲がった道を歩いていく。

すぐに左にC屋という店が見えてくる。

閉ざされた入り口のガラス戸越しに、

『6月は休みです』

と描かれた小さな黒板が見えた。

この道をただ歩いてゆけば

海に出るはずなのだ。

いつしか、道の両側には

家々が並ぶ。

はるかに緑の小山をのぞむ。

こんなところに棲む生活を想像してみる。

昔からこの土地に暮らしている、古い家がある。

すこし昔に、有り余る金を使って建てた、広く凝ったつくりの家もある。

かと思えば、

このあたりの土地にあこがれて

小さくても、どうしてもここに、という執着心で建てた、小さな家もある。

交通量の多い

N橋交差点に出た。

Dという店に入り、昼飯を食う。

案内された奥の席からは海が見えた。

老年夫婦、壮年夫婦、

と言うのだろうか。

そんな人たちばかり、入れ替わり立ち代わり、何組か。

妻ばかりがまくし立てるように喋る熟年夫婦がいる。

また別の老年夫婦は

夫がテラス席に移ろうかと言うと

妻は落ち着かないからいやと言った。

海から遠い席には、幼な子を連れた大家族。

一人でレモンティーを注文した女性。

向こうのテラス席には、日焼けした女性たち。

若い人たちか、それとも主婦の集まりか。

頼んだものだけを食べると店を出た。

再び歩く。

古くから残る、昭和三、四十年代から

さらりと残ってきた町並みと

今になって、この地にあこがれてやってきた

ぴかぴかしたマンションらや

てかてかした研修施設らが

乱暴に、並び立っている。

たぶん、だれも何も考えずに、このまま

徐々に浸蝕され、

錆びるように、

昔の風景は失われていくのだろう

(そうしてこの地の価値が失われてしまうことに、Z市やH町やK市は気づいたほうがいい。)

巨大な車がすれ違う狭い道の傍らで

老婆がひとり、背中を伸ばして体操している。

緑光る山を背負って、

開け放たれた

R山S寺の門。

途中、H郵便局で涼みがてら通帳記入した。

ずいぶん歩いたけど

どこまで行ったら海に出るんだ。

さっきから、海側の小さな角を覗くたびに

海がちらちらと見えるのだけど。

と思っていたら、

私は行き過ぎていたようだ。

気がついたときには、

M海岸のいちばん端ちかくまで

やってきてしまったのだ。

さっきから海が見えていた

どの角を曲がってもよかったのだ。

砂浜へずんずん侵入する。

すぐそこの岬の突端あたりに、緑に覆われたM神社が

鎮座ましましている。

M神社の境内を散歩してから、

波打ち際の砂浜を

元来たほうへ戻るように歩いていく。

この海岸には、はじめて来た。

静かな海だ。

建てかけの木材の骨組みは、どれももうすぐ海の家になるんだろう。

浜へ降りてくる人のための石段に腰をおろし、

海をながめた。

あ、と思った。沖に小さな鳥居が見えたのだ。


MORITO coast 森戸海岸.JPG


いま私が腰をおろしている石段には

鉄の手すりがついている。

その中ほどが錆び、朽ち果てて、つながっていない。

これは、昭和何年からここにあるんだろう。

石段の左右の壁は、コンクリートと石積みだ。

割れ目から生えた、雑草たちの緑がうつくしい。

壁には枯れた蔦。

指でなぞる。

石段の隅からは枯れた猫じゃらしが生えている。

おまえは去年の秋からここにいるのか。

目の前には、焼けたようなこげ茶の木の電柱。

外灯の細長いランプがおじぎをしている。

これらすべては、昭和何年からここにあるんだろう。

白昼の日射しに照らされて。

何十年にもわたり、昼夜問わず、青い波の音を聞きながら。

これらすべてを

いま写真に撮ることに

どんな意味があるのだろう。

私が見た、

いまこのときを

そのまま誰かに伝えられるなんて

そんなことが本当にできるのだろうか。

この目の前の雑草のうつくしさを

七掛け、八掛けで

写真にしてまで

誰かに伝えようとは思えない。

そして、そんなエネルギーも義務感も

沸いてこない。

・・・

その日は

そのまま来た道をS駅まで戻ったあと、

くねくねと細い道をK市までバスに乗った。

バスを途中下車したあとは、また

はじめて歩く路地。

そしてまた海。

顔がすこし焼けたようだ。

H駅から、E電鉄に乗り、E駅まで。

海岸でハンバーガーとビールを飲もうと

砂浜に腰をおろしたら、

手にしたハンバーガーをトンビにさらわれた。

手に、

人工ではないものと接触した、強い感覚が残った。

2007年06月07日

「結局、文章はディテールだよ。」

と言ったように聞こえた。

それは、

文章はディテールよりも、まず内容だ

という大前提は言わずもがななので

省略してそう言ったのか。

それとも

言葉の通り、なによりディテールが大事なのか。


村上春樹の翻訳文の

一節をあげながら、

ある人がそう言ったように

聞こえた。